小物語

思ったことを無責任につらつらと。

お人好しカメレオンの考察

どうも、さなぎです。

 

今回はアルバム発売から「PROGRAM 15th」までの約6年間大事にあたためられ、ようやくライブ初披露された「お人好しカメレオン」について考えていきたい。

 

15周年記念ライブの1曲目という超重要なポジションに選ばれたこの曲。

 

改めて歌詞を読んだら相当難しかったので、いろんな方の考察ブログを読んで参考にしながら書いてみる(なんか卒論みたい)。

 

ただ、僕の直感とはどれも少し異なっていたので、オリジナリティを入れつつ、いつも通り"人それぞれ"ということで読んで欲しい。

 

🍵

 

まず!!最初からぶちかますけど、ユニゾン(もしくは田淵智也)を神的な何かとして捉えて欲しい!

 

……これはこじつけとかではないので、勿論あとで理由を説明する。とりあえずそういう程でよろしく頼む。

 

あと歌い出し部分はカットして歌詞通りに行くよん。

 

回る地球儀に似た 回る地球上で君は
夜を賭して一人歩いた 目覚ましが呼び戻すまで

 

作りものじゃないけど 作りものみたいでslow slow down
みんな同じ事喋るから 真実みたいに聞こえたりして

 

さっきの神的な何かの話だけど、「〜で君は」みたいにこの歌詞には語り部がいるんだよね。その語り部というのがあとで登場する「僕」だ。

そう。御察しの通り、「僕」がユニゾンもしくは田淵智也を指していると考えている。

それ踏まえて読んでいこう。

 

地球儀に似た地球というのはまるで作り物、レプリカのような暗く冷たい現代を表している。

 

目覚ましが鳴るまで夜通し歩いたという表現については、前の歌詞から「暗い現代=夜」と捉えて"暗い現代を彷徨ってる「君」が何かしらのきっかけを掴むまで"と捉えてみた。

 

作り物〜の部分でも同じ説明をしており、皆が同じことを喋る→周りを気にして意見を合わせる風潮について述べている。

この時点でユニゾンファンならライブでの「一体感」が脳裏に過ぎるだろう。「一体感」ではなく「好き勝手にやってほしい」という想いがこの曲の大きなテーマになっていると僕は思っている。次に進もう。

 

心の切り売りにニコニコして 正義の仲間入りして
片手間ブックマークして それは本当に答えなのか、と君は喋る

 

愛想笑いやお世辞など自分を偽り、心を削って生活していく中で、「君」は本当にこれでいいのかと疑問を持つ。そして「それは本当に答えなのか」と小さく口に出したのだ。

ここが、おそらく先ほどの目覚ましが呼び戻す瞬間だろう。

 

だから今その声を捨てないで 喧騒の街 君を見つけた
お人好しカメレオンじゃないだろ 君だけのために君はいるんだよ
だから今その声を捨てないで 小さくでいい 十分だから
自分が立つその地面はどこだ? わかるはずだから 君に聞かせて

 

1サビ。「君」が疑問に思って口に出した言葉を聞いていた人物の登場だ。騒がしい街からその小さい音を聞き分ける点もその人物が神格化される理由の1つ。

 

タイトルにもなっている「お人好し」のカメレオン。周りに合わせて自分の色を変える人と捉えるのが自然だろう。「君」はそうじゃない、十人十色という言葉のように人それぞれの個性を大切にしてほしいという願いが感じられる。

 

「自分が立つその地面はどこだ?」と「君」に問う「ある人物」。この?マークは問いかけであり、「ある人物」のセリフシーンだということを示している。?マークが割と重要かもしれない、とだけ書いて2番に入ろう。

 

揺れる感情の渦で 触れる感情の名前呼んで
名前ないなら適当に付けよう 確かそんな法律もあったし

 

「君」が持つ疑問の感情をはっきり言葉にしてほしいという想い。"名前"という単語が極端に多く登場するこのアルバムではこの言葉に様々な想いが込められているように感じる。僕にはある仮説があるんだけど、それを書いていたらキリがないのでまた次のブログで改めて纏めてみようと思う。

今回の"名前"は「適当に付けよう」というぐらいだから、名前その物に意味があるのではなくて、名前が付いていること、もっというと「名前を呼ぶこと」の重要性を述べている気がする。(君の名前を呼ぶよって言葉で察する人もいるだろう)。「その声を捨てないで」など、声を大事にしてからこそ、感情を名前に変換して口に出すことを重視しており、それが「君」の意思確認になっているのだろう。

 

道に迷ったりする 未知に物怖じしたりする
迷わないなら怖じないのなら もう一生平和に暮らせばいいだろ

 

「君」のように悩める人生を送ってる人とは違い、もし現状になんの問題も感じないのなら、そのままでいいよ。ということだろう。

 

最低でも半数は見放していく僕の手を掴むのか
別に構わないけど 拍子抜けする準備と いつでも帰れる準備はある?

 

ここで始めて明かされる「ある人物」の名前は「僕」。先も述べた通り、?マークがあることから「僕」のセリフであることがわかる。

決して大半の人からは評価されるスタンスではない「僕」の手を掴むということ。どう考えても「僕」はユニゾンだろう。手を掴むというのは「さわれない歌」やMODE MOOD MODEではお馴染みのユニゾンとファンとを文字通り"繋ぐ"表現だ。

手を掴む「君」に対して「僕」の態度はいつでも離していいよ、期待しないでね、といつもの彼らのスタンスを見ているかのようだ。

 

ならば今その手を離さないで 握り返した?それが答えだ
じゃあもう僕にできることはないから 好きな所まで行ってしまえよ

 

2サビなんだけど、ここは本当に確証がない仮説なので軽い気持ちで読んで欲しい。

何度も言っている?マーク説を通すなら「握り返した?」は「僕」の声で、「僕」の手を握ったのは「君」だから、その手を握り返すとしたら当然「僕」のはずだ。ではなぜ疑問形なのか。

「握り返された」のは「君」なので、「君」からしたら「手を握ってくれた」と思うだろう。しかし、それ以降の歌詞を読むと「僕にできることはないから 好きなところへ行ってしまえよ」と突き放している。手を握り返したのに普通そんなことを思うだろうか?

ということで、今回は「本当は手を握り返してない」説を提唱したい。「君」の勝手な思い込みで握り返したと感じてしまった。ユニゾンのスタンスからしても差し伸べられた手を握り返すことはない。それを踏まえて次のフレーズだ。

 

ならば今その手を離さないで 離さないなら遊びに行こうよ
ただ甘やかす事はしないから あらかじめ出口チェックしておいてよ

 

ここでは離さないでと言っているが「僕」は特に握り返す描写はない。しかし「遊び行こうよ」と言っており、「帰れる準備はある?」ともう一度聞いているのだ。

 

つまりここでパターンが2つに分かれることになる。神のジャッジだ。

 

握り返したと認識→勘違い

握っただけ→遊びに行くけどいつでも離していい

 

この説の裏付けは後ほどしている。

 

周りの目立つ色に 馴染めるように 馴染めるように
毎日が流れて 続いていくなら 続いていくなら
きっと何千万画素もあるかっこよくて素敵なデジタルカメラなんかは要らなくなるよね

 

馴染めるように、続いていくならと歌詞を続けることでお人好しのカメレオンが執拗に変化を気にしていることがわかる。しかし、同じ色ばかりの世界では色の違いをはっきり映し出すカメラが必要なくなってしまう。

また、写真を撮るにしても現代では流行りや偽りの姿など、本当の個性が欠けたのものばかりだと捉えることも出来る。今回の歌詞はここがメインなんだろうなーと斎藤の歌い方からも察せられる。

 

だから今その声を捨てないで 喧騒の街 君を見つけた
お人好しカメレオンじゃないだろ 君だけのために、君は
だから今その声を捨てないで 火にくべたなら 燃えて灰色
お人好しカメレオンじゃないだろ 君だけのために 君はいるんだよ
ならば今その手を離さないで 握り返した?それが答えだ
僕の事は気にしなくていいから 掴んだ全てを 決して譲るな

 

ラストサビを一気に見ていく。

「君」の声は燃えたら灰になって消えてしまう小さなものだ。でも「君」の発した声はお人好しカメレオンではないことの唯一の証明。

 

そして、また「握り返した?」と聞いている。もし「君」がその問いに頷いたのであれば、次の「僕のことは気にしなくていいから」から分かるように「君」が「僕」を手放すようにも思える。そして、その代わりに「掴んだ全てを決して譲るな」と。

 

お人好しカメレオンではない「君」が「僕」の手を握ることで「僕」との相性を測っていたのだとしたら、「握り返した」のジャッジは×だ。つまり「君」は「僕」とは一緒に遊べない。でも、それで良いのだ。君だけのために君はいるのだから。

「僕」と一緒に居なかったとしても、その声を捨てないでいれば「君」は「君」で居られる。「僕」は最初からそういう「君」の背中をそっと押すような立場だったのだ。

 

僕は僕のために そう例えば僕はそう だから 君のために君はいるんだよ

 

自分のために音楽をやる。これを続けてきた「僕」が何度も「君」を励ます。バンドとしてのスタンスが合わず、「君」がライブに来なかったとしても、どこかで「君」が「君」で居られるなら良い。そういう意味だろう。

 

僕に 例えば君は 名前 例えば聞くかもな
名前なんかないよ何にも だから君が今付けたらいいんだよ

 

最後。また"名前"のシーン。そして「例えば」というフレーズが重複しているのがやや不可解だ。この重複に関しては「僕」の感情の高ぶりを表しているのかもしれない。ここまで「君」をずっと見てきて、そんな「君」が旅立つ瞬間に"名前"を聞かれるかもしれないという「僕」にとっては少し感動的なシーンだからだ。

 

そしてその肝心の"名前"だが、「ユニゾンスクエアなんとか」とか「ユニゾンスq…読めない!」とか自分たちの名前を卑下しているように、ここでも「僕」に"名前"はないという。そして、「君」が付けたら良いとまで言っている。

もしかしたら「君」は「僕」を「ともだち」と呼ぶのかもしれない。

 

🍵

 

疲れた。

 

詳しくはね、解決編で! ということで、名前についてはまたcider road全般の考察という形で書きたいと思っている。まだ書いてないから気長に待ってほしい。

 

今回も僕の独り言なので影響は受けずに曲を聴いてね。

 

それでは、また。