小物語

思ったことを無責任につらつらと。

小物さなぎがただ語る2020年2月

どうも、さなぎです。

 

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…って書き続けてたら、どうやらこのブログを始めてから丸々1年経ったらしい。

我ながらすげえ。え、すごくない?

 

当初の予定として、このブログには2つの役割を設けようと思っていた。

1つは自分の趣味を語る場所。

もう1つはオタクに気付いてほしいことを伝える場所。

 

前者に関してはそこそこ頑張った気がする。

アニメや漫画、音楽のこと。好きなポイントとか、僕なりの考察とか諸々。これからもやっていくよ、まあでも僕もこの1年でだいぶ精神的に老いてきたから、長編は勘弁だね。

 

後者に関しては、まあなんていうか若気の至りじゃないけど、僕が書き続ければ、やり続ければ、誰かの目に止まって気付く人がいるんじゃないかっていう淡い希望があった。

実際はそんなことあるわけなくて、普通のオトナと同じように、相変わらず気付かない人たちを黙って見ることしか出来なかった。そう、途中から諦めてしまったのである。

 

僕たちはここから動けない。揺るがない態度を示すことしか出来ない。間違った方向を向いている人に声を掛けられない。ましてや、相手から振り向いてくれることは多分ない。どうしようもない。

この1年で痛いほど分かった結論だ。

 

 

気付いたのは、やっぱり僕には"オタク的思考"は理解できなかったってこと。

 

どうしてみんなそんなに"応援"出来るのか分からない。その"応援"は、時に周りを見えなくさせる、他人に強要させる、聴きたい音をかき消す、見たい景色をくらます。

 

僕は好きなコンテンツがただ好きなだけだ。それは常にそこにあり続ける。僕が寄り添うかそうじゃないか、だけ。

多分これ以上は"好き"以外の感情が混ざってしまうような気がしていて、疲れちゃうんだよね。

 

もし、目立ちたいなら君がライブでもイベントでも開けばいい。コンテンツの存続は君の頑張りではどうにもならない時もあるだろう。運営は別に君のことを考えているわけじゃない。コレクションは義務じゃない。君の当たり前は世間、友達、家族、周りから見て本当に当たり前なのか。

 

どうしてファンという肩書が色々な責任を背負わないといけない。君の好きなコンテンツは、ファンに社会性の教育でもしてるのか?結局は各々の価値観でモノを考えるのに、○○ファンで一括りにしていいのか?

 

好きは人それぞれなんだよ。君の好きは僕には分からないし、別に僕の好きを分かってほしいとも思わない。

 

やっぱり理解できないよ。逆に理解しようとしてくれてるのか?

「それはそういうもの」としか認識せず、「どうして」なんて言わないくせに、周りばかりで正しいかどうかなんて考えたこともないくせに。

 

オタク的思考を持ってるのはオタクだけ。

 

これからも君はその当たり前を振りかざして違う方向を向いていればいいよ。じゃあね。

 

うん。この話は、今日でおしまい。正しさの最終回でした。駄作だったなあ。

 

まあ、そこそこ頑張った結果の諦めだから許してほしい。

 

……いやいやいや!!!話がなんか暗くない?

もっとこう…ふわっとしていこうぜ、ふわっと/シトラス(和氣あず未)

 

はい、兎にも角にも僕はこんな感じ。ふと思ったことを語るだけ。言わずもがな、賛同してほしいなんてことは絶対にないので、これからも適当にライブでも会おうね。

 

蛹は一皮剥けても蛹だったってことで。いつまで経っても大きさの変わらない小物は語り続けます。

 

それでは、また。