小物語

思ったことを無責任につらつらと。

愛ってやつがわかりそうです

どうも、さなぎです。

 

普段、自分で引いている"恥ずかしいライン"を超えてることは重々承知でも思い付いてしまったらやるしかない、みたいなことはたまにある。

今それね。(1年ぶり)

 

さてさて。

"好き"を公言する必要が本当にあるのか考えようぜ、みたいな話を前回のブログに書いたんだけど……

僕は現在進行形でガッツリ"好き"を公言しているわけで、それはもう恥ずかしいぐらいに露骨にドカーンとぶちかましているなうなのだ。

 

つまり、僕は彼女のことがとても好きなのである。

 

思えば、あのロックバンドのことも「ちゃんと好きだ」と言えるようになったのは最近なのかもしれない。

それは多分、公言したところで何の意味もなかったから。

 

……逆張り気取りがよ。

 

まあでもさ、このハンドルネームの元となった歌手も当時はまだインディーズで知ってる人なんて誰も居なかったし、あのロックバンドも今ほど有名ではなかったわけで。

周りに言っても何も得られず、ただ微妙な空気感が生まれるだけだったのは、紛れもない事実である。

 

それでも追うのを辞めなかったし、心の中では公言して何が悪いんだよと思っていた。

(これはオタクを隠すみたいな話とは別である)

 

だから、"好き"を言う必要があるかどうか、という観点では他人より少しだけ敏感な節があるのかもしれない。

 

それを踏まえて、なぜ僕が"好き"を公言するのかを考えると、見えてくるものが…ある。

 

要は、シンプルに自分のためではない、ということだと思う。

先述した通り、言っても何も得られないのは昔から変わってなくて、じゃあ別の理由を付加するまでなのかなと。

 

んじゃあ、何のためかってーと

好きな音楽とか漫画とか、SNSで何かを好きと公言することで

「さなぎがそこまで言うんだったらどんなもんか見てみるか」

みたいなインフルエンサーキッザニア状態が生まれるのを期待してる…的な?

(纏めるべき文章でよく分からない例えを出す病)

 

勘違いして欲しくないのが、好きをファッション的に纏うのではなく、客観視した時にそのコンテンツにちゃんとフォーカスが行くように仕向ける努力を怠ってはならないということ。

 

なんていうか、"好き"と言ったことによる影響を見物してるような感じなのかも。

 

もっと言うと、

 

好きだと思うだけなら僕の中だけで完結するけど、それを公言するとなれば、それは他人に少なからずの影響が生まれるわけで、

それを他人が受け取った瞬間、今度はその人の中だけで完結するものになる。

そして、それをまた公言することで誰かの元に……

 

みたいなね。

 

 

……なんか花粉みたいだな。苦しいね。

 

だからさ、

僕が"好きの話"をする時、頭に浮かぶのは発生源ではなく、"好きな人"だけでいいわけよ。

 

ライブ中に僕の存在を消したいとか、メールやブログで僕の顔が思い浮かばなくて良いとか、いいねを押されたくないとか、全てはそこに起因している。

 

みんなを幸せにするのは、僕自身じゃなくて僕の好きな人の力だということ

 

おまけに僕の好きな人はとても凄い。

 

僕の好きな人は、きっと意図せずに今日も誰かを救ってるし、ファンはきっと勝手に救われていて。

そこには自然と愛が生まれているのではないか、と思う。(ポエミーすぎるだろ)

 

それは各々の中で咲く花であり、その花粉を運ぶ役割として、好きを公言することだったり、アーティスト側の日々の活動があったりして。

 

知らず知らずのうちにファンになる的なのって、きっとこういうことなのかなとか。

 

だから、とはさっきの

"花咲か爺さんサイクル"そのものだったり、広義的な意味で何かと何かを繋ぐ接着剤的なものだよね〜〜

という考え。(当たり前みたいなこと言ってる)

 

んーーーーーー!!!!

もっと超絶ザックリ言うと!!!!!!!

 

僕が愛を持って「好きだ」と言えば、それが結果的にみんなの幸せに繋がる可能性があって、更にこの世の全部が上手くいく可能性だってあるんじゃないの!?!?!!?!!!!

 

ってことである。

 

エブリデイエブリバディハッピーである。

 

愛はサイコー!!!

 

……いやこれマジで伝わってるー?

 

このラブアンドピースのサイクルって永久機関みたいなもんで、失うもんないし、好きでいることにストレスなんて感じたことがない。

 

だからこれからも愛を持って生きていきたい、というね。

 

僕はきっとこれからも他人に深くは介入しないけど、その代わり愛のないことはやらない自信がある。

みんなが幸せになってほしいと本気で思っている。

 

だからより一層生き続けなければならない。

まあでもそこに全く不安はなくて、好きだと思ってるだけで生きる理由になるからさ。

 

今年もこの空間を見守っててよね。

 

それでは、また。