どうも、さなぎです。
内田真礼武道館ライブ、円盤で改めて見直した。いやぁ、素晴らしかった。
それについてこないだ友人と話していて、やっぱ改めて1stアルバム「PENKI」っていいよねっていう話になったのだ。
んじゃそのアルバム収録曲であり1stシングルのカップリングでもあり、武道館ライブで1曲目に歌われた「高鳴りのソルフェージュ」について超絶今更ながら僕が思ったことを書こうじゃないかというのが今回のコンセプトだ。
最早お決まりだけど、これは個人の感想なので、「は?そこは違うだろ」という文句はあって当然。寧ろあった方が良いので、これが正解なのかふむふむというのはやめて欲しいなぁという事だけ頭に入れておいてね。
じゃあ、なんでやるんだよってそりゃこの曲が素晴らしいから読み解きたいのである。
歌詞カードを片手に。よし、早くやろうか。
🍵
まず、改めて歌詞を読んで思ったこと。
ソルフェージュって何?
いや、すまん。調べてみると、要は西洋音楽を学習するための基礎訓練らしい。楽譜を見て初見で演奏したり、耳コピしたり。
つまり、高鳴りのソルフェージュとは、「高鳴り」という何かを初見に近い状態で演奏する・されるということになると思われる。
それが分かったところで、歌詞を読み解いていこう。
🍵
この曲のニュアンスって聴けばなんとなくわかる気がするけどザックリ書くと、今現在からまだ見ぬ未来へと女の子が突き進んでいくお話ってイメージだ。女の子は割とポジティブな性格で、思い立ったらすぐ行動する積極的なタイプ。そんな感じだろう。んじゃ、頭からいくよん。
響いてわたしの今 透明な空に溶けそうな
はじまりのミュージック
あの時 ヘッドフォンのボリュームをあげたのは未来
目覚める予感と 高鳴りがリンクする
冒頭、めちゃくちゃ大事だけど、最後で回収できるフレーズが多いので序盤では上手く説明が出来ない。少し我慢して読んで欲しい。
とりあえず、響いてわたしの今から
後で詳しく説明するが、今現在という時系列的な感覚を音楽に変換しているというよりかは、更に踏み込んで今現在感じている想いを音楽に乗せているといった感覚に近いと思っている。最初はわたしの今=はじまりのミュージックだと思っていたのだが、ここは乖離して考えた方が良さそうだ。理由は後ほど。
あの時ということは"今よりも過去"の話になるが、これについても後で話そう。
そして、今回のメインとも言えるフレーズが「ヘッドフォン」だ。わたしのステージという楽曲にも登場しており、なんならPENKIのジャケ写でも内田真礼本人がヘッドフォンを付けている。これはあからさまにキーフレーズ感があるだろう。
ここでのヘッドフォンは推測だが、次の歌詞にある「高鳴り」を聴く装置として捉えると良いのではないだろうか。実際の物なのか、比喩なのかは分からないが、ただ単に音楽を聴いてるということではなさそうだ。
そして次の「予感」についてだが、これは恐らく「まだ見ぬ未来(今よりも先の時間、明日とかそれ以降)」だと考える。そして、それが「高鳴り」とリンクするのだという。
つまり、未来へのワクワク→きっとこうなるだろうという予感→高鳴る鼓動とリンク→それが聴こえる状態。
という流れになるのではないか。こうなることで前述の「未来」がヘッドフォンのボリュームを上げた→未来へのワクワクが高鳴る鼓動とリンクして音を上げた→それが大きく聴こえる。こういう解釈になる。これも後で捕捉している。
眩しい日射しの先に 目を凝らした 季節は変わったばかり
鏡に映る自分を 飛び越えてく イメージが乱反射決めたよ、知ってる ちょっと突然かもね
動いたココロ なにより明確なReason
ここでは、新しい自分になりたい女の子を描いている。鏡に映るのは今の自分で、飛び越えた先にある未来のイメージは無数にある。これを乱反射と表現しており、ココロが動いた方へ彼女は道を決めていく。
響いてわたしの今 透明な空に解き放つ
聞きたかったミュージック
自由な線を描く 瞬間のフレーズにのせて
かなえたい予感へ 最高のプロローグ
サビに入る。ここでの聞きたかったミュージックこそ「わたしの今」だと思っている。理由は簡単にいうと「今解き放つ」からだ。これも後ほど補足している。
五線譜(?)か分からないけど、そこに自由に描く今その瞬間のフレーズを奏でた音楽は叶えたい未来へ最高のプロローグとなっている。プロローグというのは曲でいうイントロ的な意味だ。これが鼓動なのか、音楽なのか。何はともあれ、プロローグ=「聞きたかったミュージック」だということだ。
この女の子は自分、もっと詳しくいうと「自分の今」にとても自信があるのだろう。今は叶えたい未来に繋がっている。そしてその想いが透明な空に響く。空、というのは空だけでなく自分の見えている景色全体として捉えるのが良さそうだ。これについても後で。
明日は過去の約束 夢見た数 いろんな自分になろう
いちばん大事なものが 胸(ここ)にあれば 前を見てられるなくさない、わかるの ちゃんと特別だから
ココロの声が いつでも誠実なAnswer
約束された未来なんて言葉をたまに聞くが、それに近いニュアンスだろう。今見ている夢の数だけ未来がある。そして、それを決めるココロの声という自分の意思が明確なReasonであり誠実なAnswerなのだ。
歌うよ 今しかない会いたいオモイがあふれてる
はじまりのミュージック
あの時 ヘッドフォンのボリュームをあげたのはわたし
毎日変わってく 高鳴りに耳を澄ます
会いたい(誰かに)オモイが溢れて歌うはじまりのミュージック。いや、はじまりのミュージックってだからなんだよ。もう少し待って欲しい。ただひとつわかったのは、はじまりのミュージックは歌うモノだということだ。つまり、プロローグ(イントロ)ではない。
だから、「聞きたかったミュージック」=「わたしの今」=「最高のプロローグ」なので冒頭の「わたしの今」は「はじまりのミュージック」とは乖離していると考えた。はじまりミュージックは歌われるモノだからね。
そして、また「あの時」ヘッドフォンのボリュームを上げたのは未来ではなく今度はわたしであるという。そして「毎日変わる高鳴り(未来)」だがこれは、今見ている夢の数だけ明日があるために毎日無数の選択肢があることを意味している。
耳を澄ますという表現、音が小さいからではなく、音が無数にあるからこそ一つの道を探すために集中しているといった方が自然だろう。つまり、自ら「ヘッドフォンのボリュームを上げる」必要があったのではないか。
冒頭でヘッドフォンのボリュームが上がったのは「目覚める予感(未来)が高鳴りとリンクした」からであって、つまりそれは「意図せず勝手に聴こえる音が大きくなった」のを「ボリュームを上げた」と捉えている。そうなれば、ボリュームを上げたのは未来になるだろう。
今回は自主的にボリュームを上げることで、その時々でどれが一番高鳴っているかを調べるためにヘッドフォンを利用していると考えた。
誰かと比べるとか カンタンな話じゃないの
わたしが選ぶわたし
ここから見える空が 全てだった日の
夢見るチカラ忘れないよ 眩しさへ手をのばそう
先ほど述べたことの延長だ、誰かと比べるのではなく、自分が一番だと思う道へ進む。
そして次。このフレーズを待っていた。そう、「過去」だ。
"今"見える景色が全てだった。でもその"今"には無数の未来があって夢を見る力で溢れている。例えば昨日見えていた景色よりも今はもっと更に先へ。
「あの時」はまだ未来が見えていなかった、無数にあったから。でもその未来は高鳴りとリンクして音が上がった。そして、聴き分けるために自らボリュームを上げた。「あの時」を経て彼女はやっと見つけたのだ。ココロが向く方を。
響いてわたしの今 透明な空に解き放つ
聞きたかったミュージック
自由な線を描く 瞬間のフレーズにのせて
かなえたい予感へ 最高のプロローグ
目覚める予感と 高鳴りのソルフェージュ
歌う… 最初のBreath Sound
ここから
最後。見つけた未来から鳴る音。それをソルフェージュする(耳コピ、もしくはプロローグのように楽譜が描きながらかもしれない)。
ここの解釈。「予感」と「高鳴り」のソルフェージュ。つまり、未来というモノを高鳴る鼓動が音として表現しているということになるのではないか?もっと言うと、
「未来をソルフェージュするのは彼女自身ではなく高鳴る鼓動だった」
故に「高鳴りのソルフェージュ」ということだ。未来へのワクワクを音で表現した。それを聴く装置としてヘッドフォンがあった。ヘッドフォンは聴診器的な役割だったのかもしれない。
その音に乗せて歌う、最初のBreath Sound。最初の呼吸音だ。ようやく"ここから"歌い出し。あれ?歌うってどこかで…そう!「はじまりのミュージック」だ!ここで2番サビの全てがつながる。
未来に会いたいオモイが溢れた→今しかない!→高鳴りのソルフェージュに乗せて未来を歌う→(新しい人生の)はじまりのミュージック
この流れになるのではないか?
つまり、響いていた今というのがプロローグ、聞きたかったミュージックだ。そのイントロを聞いたことによって、高鳴った鼓動に乗せた歌が始まる。これがはじまりのミュージック。彼女はずっと歌いたかったのだろう。"今"が響くその瞬間を待っていた。ずっとイントロが聞きたかった。今があるから約束された未来がある。まさしく、そのままだ。
そして冒頭にあった、はじまりのミュージックが空に溶けていくという表現。今まで見えていた景色だけでは収まらない。歌は無限に広がっていくのだ。ここから。
🍵
ここから見える空が全てだった今からまだ見ぬ未来へ。空をライブ会場に例えるとどうだろうか?ビルに囲まれた四角い空から広い空へ。内田真礼アーティスト活動の始まりを祝福してるかのようにも思える。
はじまりのミュージックを歌ってから5年目に突入した。彼女曰く、まだまだ道の途中らしい。未来は無数。今後も楽しみだね。
🍵
と、あとがきチックなやつも入れておいた。
はい、今回はこんな感じで。実はこの解釈、めちゃくちゃ書き直した。特にミュージックのところ。何度も考えて一番しっくりしたやつを書いたけど、どうしても色々無理矢理なところもある。一つの考えを通すにはどこかで曲げないといけないところもあるってことだね。
最初に書いたけど解釈は人それぞれ。予防線ではなく、本当にそう思ってる。というか、僕の中でも解釈がブレている。今回のはあくまで一例だ。明日には違うことを考えているかもしれない。でも、それでこそ音楽なんだろう。
楽曲が好きだから、どういう意図で作ったのか真剣に考えてみたい。それだけだ。興味本位でシャーペン分解するのと一緒かもしれない。ごめんこの例えはよく分かんないけど。
とにかくこの解釈以外にも色々考えていたので、知りたい物好きがいたら声を掛けてくれても良い。
正直高鳴りのソルフェージュは武道館1曲目という重要なポジションに置かれるまで深く聴いてみたことはあまりなかったし、なんなら歌詞カードすらまじまじと読んだのは初めてだった。自称楽曲オタクから馬鹿にされるかもしれない。
それ故にこんなに今更ながら考察することになったわけなんだけど、それにしても書いていて感慨深いなぁとつくづく思った。作詞作曲者がどういう気持ちで書いているのか、曲の正解は分からないけど、なんとなく想いが伝わってくる。そういう意味では楽しい作業だった。
でも、もう今回限りでこういうのはやらない。だって!!めっちゃんしんどかった!!書くのが!!!!レポート書く奴マジで意味わからんな!もう朝だよ!
喋るのって凄え便利だ。
それでは、また。