どうも、さなぎです。
内田真礼のライブといえば「Hello, future contact!」と言っても過言ではないだろう。ファン、そして内田真礼自身を支えるこの曲について今回は触れていきたい。
以前僕と内田真礼の出会いについてブログを書いたことがあるが、そこに記した通り、初めて聴いた曲は「Shiny drive, moony dive」であった。勿論、この曲もお気に入りの一つではあるが、アーティスト内田真礼にハマる要因となった曲は間違いなくこの「Hello, future contact!」だった。
聴いた瞬間から田淵智也が書いたことは察したが、だからといって「田淵智也が書いたから」という理由でハマったわけではない。
この曲には何かが秘められている。そんな感覚を覚えるファンも少なくないのではないだろうか。
ライブでこの曲の聴いている時に胸が熱くなる。涙が溢れそうになる。この湧き上がる想いは一体何なのか。改めて見つめ直したい。
しかし前回行った高鳴りのソルフェージュ考察のようにじっくり歌詞を読み解いていくつもりはない。「こういう解釈はどうだろうか?」と普段なら投げかけるところだが、今回に関しては歌詞の背景を知るということよりもこの曲から感じる"何か"を僕なりに表現したいという想いが強いからだ。
もっとザックリ言うと「この曲ってやっぱり良くね?」っていうのを再確認をしたいだけなのである。
それでは「はじめます」。
🍵
そもそもこの曲のテーマってなんなんだろうか。
もう半年ぐらい前の話になるが、田淵智也楽曲について考察をしたことがあった。
その時は確か「時計の針を止めたくなる」などの歌詞からこの曲に登場する「少し幼さを残す女の子」に着目して様々な議論をしていたのだが、田淵智也が何故アルバムの最後にこのような楽曲が作ったのかという点に関して論じてはいなかった。
アルバムの最後に持っていく曲、つまりライブでも終盤に使われる可能性が高い曲を書く上で彼がどのようなことを考えていたのか、ということだ。
まずはそれについて掘り下げていきたい。
一つのキーワードとして、彼は武道館のパンフレットのインタビューで内田真礼のことを「終わりが見えない」と表現していた。「伸び代がある」のか「エネルギッシュ」なのか色々想像させられるが、いずれにせよ「アーティストとして底が見えない」という意が含まれているのは確かだろう。
何故彼がそう感じたのかは定かではないが、これは舞台監督が武道館を新たな船出として「これからも道は続いていく」といったようなテーマにしていたこととリンクしている。
つまりアーティスト内田真礼の魅力はそこに集約されているのではないだろうか。
常に「終わらない旅の途中」なのだ。だから田淵智也楽曲の特徴として「また次がある」と思わせる方向で締めくくっているのだろう。
「未完成な地図を進みたい」「未来で待ち伏せ」「夢は止めどなく」「てっぺんまでスパイラル」「私も歩き出すよ」「まだまだ行け」
こんな感じで最終的にはいつも「内田真礼さんの次回作にご期待ください!」って打ち切り漫画の如く曲を終わらせている。
なんかこれではマイナスなイメージが付きそうだが、彼にとって内田真礼が常に進化を"約束"された存在であるということに着目していきたいということだ。
🍵
さて、ここまで田淵曲の方向性について述べてきたが、ここからは本題の「何故 Hello,future contact! が誕生したのか」という疑問とそれを最後に歌う理由について考えていきたい。
先程述べたように彼にとって内田真礼は常に進化していく存在であって、当然それはライブパフォーマンスにも言えることだろう。
楽曲にその想いを込めているとすると、それはつまり「次のがもっと凄いからまたライブに来た方が良いよ」と暗にオススメされているようなものだ。
ここから分かることは楽曲の性質上、田淵智也自身が「内田真礼のライブに来た方が良い」とオススメしている状態を「内田真礼自身がファンの皆に会いたい」というように書き換えることでその意を表しているということだ。(勿論、本人もそう思っているだろうけどここではオススメするという行為の言い換えとしての話)。
内田真礼が「また会いたい」と言ってくれたらそれはもう全人類嬉しくて涙を流しながらまたライブに来るだろう。そういう狙いがありそうだ。
流れとしては「進化していく存在」→「その成長を見届けたい」→「またライブに来てほしいという想いを楽曲で表現する」という感じだろう。
ニュアンスが分かったところで、ここからは少し曲の中身についても触れていきたい。全部歌詞を読み解くわけではないので悪しからず。
先に僕の見解を述べると曲全体を通して、「"ライブという時間"と"約束"の大切さ」を表現しているのではないか。
少し細かく見ていこう。
イントロ、哀愁漂うメロディは「夕焼けチャイム」ような"遊びの終わり"を感じさせている。これは決して「ハロコンが始まったからライブが終わり」という訳ではなくて、イントロを聴いた瞬間にライブの終わりを感じるということだ。ファンの中でもそう感じる人は少なくないんじゃないだろうか。
そして今からとても大事なことを書くので最早ここだけ読んでくれれば良いんだけど
「この曲で鳴っている音が時間に変換されているのではないか」
ということだ。
冒頭の音が一つずつ聴こえるところは「一歩進むだけでも胸が高鳴る」と言っており、音が鳴る毎に少しずつ時間が進んでいるということになる。
メロディは終盤戦、時計の針を止めたくなる
ここに関してはモロそのままで、この曲自体が最後に差し掛かることと楽しい時間の終わりを掛けている。
前半と後半の歌詞を引用したが、全体を通してライブという時間を表していることがここから分かるだろう。
音が鳴っている=時間が進む
これが先に述べた僕の見解の一つ目だ。
そしてもう一つの約束について。これに関しては曲中で死ぬほど言っているが
約束したいよ ねえだめかな?
から
小さくていいから 約束作って帰り道
までの流れだ。ここで大事なのは「約束がどんな内容か」ではなくて「約束するとはどういうことか」について詳しく述べているということだ。
つまり何が言いたいかというと、この曲に登場している女の子は「楽しい時間には限りがあるから、とりあえず約束しちゃおうよ」って言いたいのだけなのだ。それだけだ。それが軽く会うだけなのか、長い時間なのか、もしかしたら直接会うわけじゃないのかもしれない。
それでも約束することに意味がある。それが言いたいんだと僕は考えた。「また会いたい」と述べているのはそのままの意味もあるが、単純に約束をしたいという意味合いも深そうなので直接会わないという約束(ライブに行けない人への配慮で書いた)もアリなのかなと。
明日も明後日もいいことばかりがあるわけではない。でも約束さえ作っておけば乗り越えられる(とは言っていないがニュアンス的に)。
それに、楽しい時間が終わってみんなと別れることは必然であって、悲しいことではないのだ。
何故なら「時計の針を止めること」よりも「リズムを欲しがっている気持ちのが強い」からだ。時間が止まるということはつまりこの曲が途中で止まるということ。それは残念ながら望まれていない。この素晴らしい音楽を最後まで聴きたい=素晴らしい時間を最後まで過ごしたい。これが彼女の本心なのだ。
だから次の約束することが必要。
そうじゃないと、本当に終わってしまうから。
この女の子は意外にサバサバ系なのかもしれない。今、幸せを抱えたままずっと一緒にいることよりも、一旦区切りをつけてまた新しい幸せを探しにいくことの方が大事だから。これがハッピーサーチだ。
その為だったらライブの終わりは逆にあった方が良くて、「いいよ、認めようか」なんて言葉も発するかもしれない。
そして最終的には未来を待ち伏せすることで絶対に会うことが約束されていて、おまけに「覚悟しておいて」と自信満々だ。次会う時は今よりもっと成長した姿になっているということを確信しているからこその言葉だろう。
…と、これが彼の言っていた「終わりが見えない」の本質なんじゃないだろうか。
成長するからこそ、また来てほしい。
それが「ライブ」と「約束」がいかに大切かを表現することに繋がっていて、この曲を歌うことでそれが確認できる。
これが僕の考える Hello,future contact!の存在理由であり、歌われる意味 だ。
ライブが終わることは必然。それは分かっているし、次に期待していてほしい。でも今この瞬間も楽しくて大切な時間。この矛盾しているような気持ちが歌っている本人から伝わってくる。
今日のライブが楽しかったこと、思い出の更新、ちゃんと"今"を見つめ直している。そこから次の約束された未来までの毎日が楽しいことばかりじゃないことも分かっている。
この曲を聴いて胸が熱くなるのは、約束という行為がそんな悲しさと期待の折り合いをつける矛盾した想いで溢れているからなのかもしれない。
超絶ザックリ纏めると、内田真礼がこの曲を歌うことで
「私って終わりが見えないほど伸び代があるんですって!次はもっと凄いライブをします!だから次に会う約束をすることって大事だと思いませんか?ね?とりあえず約束しましょ!」
ってプレゼンテーションされている感覚になるよ、って話。
いや、我ながら非常に分かりやすいまとめだと思っている。むしろこれだけ書けば良かったのでは。まあ余計なことを書くのがブログの醍醐味なので許してほしい。
それにしても音楽を時間と捉える手法や「ワタシレシピ、ハッピーサーチ、思い出更新」などの田淵語録、好きなコンテンツが盛り沢山すぎて本当にこの曲は反則だろう。
随所に散りばめられた「ここ好き」ポイントは尽きることがない。ぜひ君のも教えてほしい。
🍵
はい、長かったね。
いやぁ、書いた書いた。
それでも僕自身、まだ書き足りないところや見えていない部分が沢山あると思うし、なかなか文章では伝わりにくいところもある。
自分の見解を文章で述べるというのはいろんな意味で危険だと思うが、こればかりは仕方がない。
今回に関してもいつも通り「この瞬間、僕が思っていることを指が勝手に文章化しただけ」なので書き終える瞬間には違うことを考えているかもしれないが、それはそれで良い。写真を撮る時と同じように、その瞬間の脳味噌のスクリーンショットがこのブログだからね。1秒後には黒歴史だ。
ただし、責任は持つ。明日の僕に聞かれると内容に関しては詳しく答えられる自信はないが、文句や批判はいつでも受け付けている。
まあ内容なんてどうでも良くて、この曲への想いは少しでも伝わればいいなと。これもいつも通り、それだけだ。
思い出の更新は人それぞれ。約束の内容もまた然り。甘く楽しい時間はこれからも続くらしい。
それでは、また。