どうも、さなぎです。
人の原動力ってのはまあそれぞれだよな。
愛情っていう謎の力だったり、好奇心とか欲求を満たすためだったり。ただそこに最近"怒り"があることに気付いた。
怒りが原動力になって起こす運動。要はクレームだ。
🍵
何か運動を起こす時、オタクならわかると思うんだけど「どこまでセーブするか」ってのが絶対命題になる気がする。
マナー違反やら、それこそ法律違反やら、自分の起こす運動に過ちがないかを一旦立ち止まって判断する力が要求される。
勿論、これについては僕も"出来ている"と問われれば首を横に振る。
ネットにグレーな書き込みをしたり、リアルで信号無視したことが無いといえば嘘になる。神様仏様から見たら僕は大悪党だ。
それでも幸運なことに今日も豚箱に収容されずに社会の底辺ほっつき歩いている。まあどっちが良いか問われれば考え込んでしまうのは確かだが。
それでさっきの話に戻るけど、クレームを付けることが問題なんじゃなくて「それ、セーブ出来てる?」ってことが重要なんじゃないかなと思うのである。
ここでのセーブは抑えるという意味なので友達とRPGやってる時に隣で言うセリフではないよ。世代が違うか。
つい最近、うちのお店で客がブチ切れてお金払わずに商品持って帰ったことがあった。あとは、電話で「こっちがイラついてるんだから謝るのが筋ってモンでしょ」ってキレられた。
中年や老人のいかにも昭和っぽいクレーム話かと思いや、このクレームはどちらも高校生によるものだった。もう一度言う、高校生だ。
最近、明らかに若年層のクレームが増えている。4年間接客をしていて、この1年ぐらいで圧倒的な程に感じるのだ。
どうした、若者よ。
僕が思うに、情報もモノも何でも手に入る時代だからこそ、自分が満たされない滞りが気に入らなくなってしまうんだろう。
クレームには何か理由があって、勿論最初の被害者はだいたい客側なんだけど、セーブが効かないことによって新たな加害者になりうることがある。非常に勿体ない。
どうしてそこまで不快に思うことが駄目なんだろうか。生きていく上で不快に思うっていう現象はいつだって起こりうることなんじゃないの。楽しいことだけ見るなんて不可能だし、不快に思わない配慮が足りてないんじゃないのか、と思ってしまうのである。
というか被害者の言い分が「不快に思ったから」って普通にズルくないか?法廷でも使える何でもアリの魔法の言葉か?
世の中、生き辛すぎるだろ。
何をしても何処にいても誰かから不快に思われる可能性があって、自分の知識の範囲外で違反してる可能性があって、訳も分からず理不尽にクソガキから文句言われる可能性があるんだよ、社会は。
この世の"不快"を消し去ることが出来るならやってみろよ。
何と戦ってるんだ。いい加減教えてくれ。
イラついて、何処かに吐き捨てて、またイラついてって一生戦う気か?
諦められないっていうのは本当に損だと思うよ、それが自分が何か被害に合ったとしても、君の"不快"にそこまで価値はないんだからさ。だってそうだろう、誰でも簡単に使える魔法の言葉に重みなんてあるわけがない。世の中"不快"だらけなんだぜ。
だから、その"理由とも呼べない理由"で怒らないでよ。
戦わなくていいじゃん。というかマジでその戦い終わりあんの、あるなら教えてよ、DMでいいからさ。
親が教育しようがしまいが1人の高校生の怒りが窃盗に繋がる世の中で正しさを求めるのウケちゃうよね。
自分も世界も諦めてくれないかなぁ。
あ〜不快不快。
それでは、また。