小物語

思ったことを無責任につらつらと。

小物さなぎがよく喋る2022年4月28日

どうも、さなぎです。

 

4月28日。

今年もこの日が来た。

 

祝うことってなんか照れくさくない?

 

って思う人生を生きてきて、例えば

「ありがとう」とか「ごめんなさい」は言えるのに、「おめでとう」って言えない…みたいな。

……いや、これ絶対伝わんないよね。

 

マジで嫉妬心とかが邪魔してるわけじゃなくて、祝福することに対する相手への"ノーガード感"がアレというか……?

 

だって、逆に純粋な気持ち以外で祝福したら、それこそ嫉妬心とかがあるように見えるわけで……

要は祝福するには自分が純粋だよ〜ってアピールをしなきゃいけない?みたいな??

 

あれ、でもそれって「ありがとう」「ごめんなさい」も一緒じゃね?

ん〜〜〜まあとにかくそうなの!!

そういうことにしといてください。

 

※そういえば「あけましておめでとう」が言えないってラジオを録ったことがあるので聴いてみてね。

https://youtu.be/ayLWEAmdybA

 

 

んで、、何が話したいかっていうとさ

 

さっきの純粋アピみたいに、僕のキャラデザインに合ってない事がどうにも出来ないタチなんだなぁと最近は特に自覚してまして。

 

ラジオにメールを書く時も

「こんな純粋なメール、(キャラ的に)僕は書けないな…」

とか、まあツイートも含めてね。

 

このブログだって

趣味でやってるラジオ(さっき貼ったやつ)だって

僕はこう考えてます

っていう思考プロセス→結論は完全に見せてるけど、感情はほとんど見せない。

 

まあそういう部分を見せるのって、基本誰だって恥ずかしいと思うんだけどさ。

特に僕は家族や友達にも、もちろんSNS上でもそういうキャラ設定を崩さずに生きてきた。

 

はい。

 

んでね、

まあここまで引っ張ればお察しの通り…

こんな僕でも、最近彼女への手紙を書くときだけは自分の本性を曝け出してるな〜〜って気付いたのです。

「僕はこういう人間で、だからあの時はこんな風に思ってて、でも今はこうで…」

みたいな。

 

自分の弱いところを見せられるのも、便箋の上だけだった。

 

確かに自分でも変わったなぁと思うんだけど、まあ変わらずにいることのメリットも特に思い浮かばないし。

逆に皆が変わることを恐れすぎてて面倒まである。そう、君だよ、君のことだよ。

 

やっぱ、気ままに人生やっていきたいよな。

 

あとさ、この依存関係って、義務かって言われたら、義務でもいいと思ってて。

僕は"衣食住"みたいな感じで、ライブがなきゃ死ぬって本気で思ってるし、このまま歳とって更におじさんになって物理的に行けなくなる…みたいなことになるまで…

少なくとも今はそれに縋って生きていくんよ。

 

つーか、呼び方なんてどうでもいいし、見られ方なんてどうでもいい。僕の手紙読んだことないでしょ?本性知らないでしょ?へへーんだ、文句あるならかかってこいって感じ。

 

はい。

どうやら今はこういうマインドらしい。

明日朝起きたら違うこと思ってるかもしれないけど、変わるってそういうことなのでね。

 

まあでもさ

僕の道か、彼女の道が終わる日まで、好き勝手にやっていくよ。

過程は変われど、行き着く先は変わらないのかもしれないね。

 

 

いつもありがとう。

 

ふざけてばかりでごめんなさい。

 

そして、おめでとう。

 

それでは、また。